このわた
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このわた [2020/11/13 06:48] – ↷ 大湯環状列石 から このわた へページを名称変更しました。 moepapa | このわた [2020/11/13 07:17] (現在) – moepapa | ||
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- | {{: | + | 見た目のすごさと、ナマコの内臓というインパクトに押されますが、 |
+ | 確かな味で人気の珍味のこのわたです。 | ||
- | 大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は、秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の大型の配石遺跡。国の特別史跡に指定されている。環状石籬(かんじょうせきり)やストーンサークルとも呼ばれる。 | + | {{:このわた_-_flickr_5893169002_9f78eb0550_o.jpg? |
- | 遺跡は1931年(昭和6年)に発見され、約130メートルの距離をおいて東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。この遺跡を全国的に有名にしたのは、太平洋戦争終戦直後の1946年(昭和21年)の発掘を、『科学朝日』が紹介したことである。そして、1951年(昭和26年)と1952年(昭和27年)には、文化財保護委員会と秋田県教育委員会が主体となって、本格的な学術調査が実施されている。 | + | このわた(海鼠腸)は、ナマコの内臓の塩辛である。寒中に製した、また腸の長いものが良品であるとされる。尾張徳川家が師崎のこのわたを徳川将軍家に献上したことで知られ、ウニ、からすみ(ボラの卵巣)と並んで日本三大珍味の一つに数えられる。 |
- | この遺跡は、山岳丘陵の末端にのびる舌状台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置されている配石遺構である。その外輪と内輪の中間帯には、一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。その形から「日時計」といわれており、万座と野中の両方の遺跡にある。 | + | 古くから能登半島・伊勢湾・三河湾が産地として知られてきたが、今日では、瀬戸内海など各地で製造されている。 |
- | 大きい方の万座遺跡の環状直径は46メートルもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークルである。組石は大きいほうの万座では48基、野中堂のほうは44基ある。中央の立石は大湯の東方約7 - 8キロメートルにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されており、労働力の集中が見られる。 | + | 語源は、こ(海鼠。ナマコという意味) + の(助詞) + わた(腸。内臓という意味)である。 |
- | 遺跡の使用目的に関しては諸説あるが、近くには構造が似ている一本木後ロ遺跡があり、これは墓であることが調査によって明らかになっており、またそれぞれの配石遺構の下から副葬品をともなう土坑が検出されたため大規模な共同墓地と考えられている。さらに1948年(昭和23年)から始まった万座の周辺調査から掘立柱建物跡群が巡らされていたことが明らかになり、これらは墓地に附属した葬送儀礼に関する施設ではないかと推測されている。 | + | このわたを製造する場合には、体色が赤っぽい「アカナマコ」が重宝がられるという。 |
- | 大湯環状列石には日時計状組石があり、この環状列石中心部から日時計中心部を見た方向が夏至の日に太陽が沈む方向になっている。このような組石は北秋田市の伊勢堂岱遺跡にもある。 | + | まず、ナマコの体内を浄化するため、作業場近くの海に設けた生け簀で二日ほど放置する。腸管内部の餌の残渣や糞がある程度排泄されたころをみはからい、腹側の口に近い部分を小刀で5~6cmほど裂き、逆さにして内部の体腔液を抜きつつ、切り口から指を入れて内臓を引き出す[1]か、または脱腸器で内臓を抜き取る。 抜き出した内蔵は、指先でしごいて内部に残った砂を絞り出し、腸管・呼吸樹(「海鼠腸の二番」と称される)・生殖巣の三部位と、砂(砂泥)とに分別される。生殖巣はくちこの製造に向けられる。 |
- | 大湯環状列石の北東には黒又山があり、大湯環状列石からはきれいな三角形に見える。黒又山にも何らかの人工的配石遺構などがあるのではないかとする推測もあり、大湯環状列石との関連の可能性が一部より指摘されている。 | + | なお、内臓を抜いたナマコは生食用または熬海鼠(いりこ:煮干し品)の製造に向けられ、生食用は海水を満たしたナイロンの袋に詰めて出荷される。熬海鼠用は釜に入れるまで、海水を満たした桶に保管しておく(ナマコの生態的な特徴からすぐに死ぬことはない)。解体時にナマコの切り口を小さくするのは、熬海鼠の品質を良くするためといわれている。 |
- | 周囲には掘立柱建物跡が巡らされており、その外側にもいろいろな配石遺構、竪穴式住居跡、貯蔵穴、捨て場などがある。 | + | 解体と分別作業とが終わると、小盥に分けた内臓を海水でよく洗い、ザルに取って水気をきってから一升舛で量り、別の盥に入れて重量比で1割強(体積比では、内臓1升に対して2~3合)の食塩を加えて混ぜ合わせ、桶または壺に貯蔵する。2〜3日で塩漬けが完了して食用可能な状態となるため、箸などを用いて出荷用の容器へと取り分ける。おおまかに、ナマコ100貫から内臓8升が採取でき、内臓1升からこのわた7合が製造できる。 |
- | 土器・石器、その他土偶・鐸形(たくがた)土製品・石製品、動物形付土器、三角形岩板など祭祀的遺物が出土している。 | + | 多量の水分を含み、軟らかい紐状をなすこのわたの流通用容器としては、ガラス瓶・竹筒・桶の3種類がある。ガラス瓶が使用されるようになったのは、昭和40年代以降のことであるが、清潔で容積に変化がないことから、120 ml容の小瓶が使われている。竹筒入りは細身の青竹を用いるが、内容積に変化があるため、使用する時は、このわたの本数を読んで詰めている。さらに、「オケ」と呼称されている小型の木製容器も用いられる。容積は120 ml相当の物を取り寄せているが、出荷先からの要望によっても変わる。京都・大阪や金沢の方面では、竹筒入りのこのわたが求められる場合が多く、名古屋方面では桶入りのものを求める傾向があるという。 |
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+ | ナマコの内臓はふつうは塩蔵品として市販されるが、生鮮品をそのまますすっても、三杯酢に浸して酢の物としても美味で、酒肴として喜ばれる。また、このわたに熱燗の酒をそそいだものは「このわた酒」と称される。 | ||
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+ | 「このわた汁」は、このわたをまな板の上で庖丁で叩いてから椀に入れ、ごく薄味に仕立てた汁を注いだもので、このわたの真の味を賞し得るという。また味噌仕立てにもされ、三州味噌を庖丁で細かく切って水溶きし、鰹節と昆布とを加えて3時間ほど置き、裏ごしする。これを火にかけて味を調え、このわたを加えてさっと火を通して供する。 | ||
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+ | このわたは、能登国の産物として平安時代の史料に登場する。室町~戦国時代には、能登の守護職を務めた畠山氏が、特産の水産物としてこのわたを納め、「海鼠腸桶」を足利将軍家や公卿・有力寺社などへ贈呈した歴史が知られている。 | ||
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+ | 延長5年(927年)成立の『延喜式』では、中央政府が能登国のみに課した貢納物の中に、熬海鼠に加えて「海鼠腸」が挙げられている。能登の交易雑物に「海鼠腸一石」と記録されている点から、かなり量産されていたことがうかがわれる。 | ||
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このわた.1605217736.txt.gz · 最終更新: 2020/11/13 06:48 by moepapa